世界三大ピアノ(スタインウェイ|ベーゼンドルファー|ベヒシュタイン)専門店。

東京駅近く、日本橋にあるアクセス便利なショールームで、最高峰の輸入ピアノを豊富にコレクション。ピアノ販売もピアノ買取も全国対応。

スタインウェイ&サンズ ブランド紹介Brand

スタインウェイ&サンズ の歴史

創業者ハインリッヒ、ドイツでピアノ制作を開始

1797年、ドイツのハノーヴァーとライプツィヒの間にある小さな村で、後に創業者となるハインリッヒ・エンゲルハート・スタインヴェグが誕生しました。 スタインヴェグ家は森に棲む木炭職人で木材に精通した一族であり、ハインリッヒは21歳で教会用のオルガン造りの見習いをはじめ、1835年には自宅の台所でピアノの製造を始めました。

スタインヴェグ一家、ニューヨークでスタインウェイ&サンズ社を設立

その後482台のピアノを製造しましたが、封建社会のドイツ国内の経済状態に将来性が感じられなくなり、1850年に妻と5人の息子、3人の娘と共にアメリカへの移住を決意し、ニューヨークのピアノ製造会社で3年間勤務して環境に慣れた後、1853年にスタインウェイ&サンズ社を設立しました。 創業当時は一族のハンドメイドによりスクエアピアノを生産していましたが、1855年にはニューヨークの展示会でスクエアピアノがゴールドメダルを受賞。1856年にはグランドピアノの製造をスタートし、1858年には約100名の従業員で年間700台以上、1863年には約400名の従業員で1600台以上のピアノを生産しました。

スタインウェイ&サンズ社、グランドピアノの構造を完成

三男のヘンリー・ジュニアはグランドピアノの一体鋳造の金属フレームや「オーバーストリングス(低音弦を中音減の上側に交差させる方法)」を考案するなど、「スタインウェイ・システム」と呼ばれる現代ピアノが模範とするスタイルを完成させました。 その後34歳の若さで他界したヘンリー・ジュニアに代わり、ドイツに残っていた長男セオドアをニューヨークへ呼び寄せ、音響工学を取り入れた設計など45の特許を取得。1900年頃までにはグランドピアノを現在の形に完成させました。

優れたピアノとマーケティングで世界のトップメーカーへ

マーケティングに才能があった四男ウィリアムは初代社長に就任し、当時のニューヨークでは2番目の規模となる「スタインウェイ・ホール」を建設し音楽文化の中心的役割を果たし、1867年のパリ万国博覧会で最高金賞を受賞して一気にピアノメーカーとしての評価を得るとともに、一方ではピアニストのアントン・ルビンシュタインやイグナツィ・パデレフスキのコンサートツア−のマネジメントをして成功させるなど、独自のマーティングによりスタインウェイピアノの世界的な評価を得るに至りました。

ニューヨーク、ハンブルグより世界へピアノを供給

1873年にはクイーンズ工場を建設し、鍵盤の象牙を除く全ての部品を自社生産できる体制を整え、1875年にはロンドン支店(イギリス)とロンドンのスタインウェイ・ホールをオープンさせてヨーロッパ市場への進出の足掛かりとし、1880年にはハンブルグ工場(ドイツ)を設立して当初はニューヨーク工場から送られてくるフレームやアクション、材木を使用してピアノが組み立てられました。

世界的ピアニストのアメリカツアーをマネジメント

1872年、当時のヨーロッパで最も名声のあったピアニスト、アントン・ルビンシュタイン(ルビンシテイン)のアメリカでのコンサートツアーをマネジメントして大成功を収めました。1891年からは伝説的ピアニスト、イグナツィ・パデレフスキのアメリカツアーを幾度もマネジメントし、同じく大成功を治めてスタインウェイピアノの評価に大きく貢献しました。

第一次大戦後、生産のピークを迎える

1918年に第一次世界大戦が終わって戦後のアメリカではピアノブームが到来し、1923年には国内で36万台のピアノが生産され、1925年には2,300人の労働者、1926年にはニューヨークの工場だけで6,294台のピアノを生産し、現在に至るまで生産台数の最も多い年となった。 しかし、その後のラジオやレコード音楽の普及、また不景気もあり1929年以降は全米のピアノ需要は急激に減少していった。

第二次大戦での混乱と、戦後の復興

1939年から勃発した第二次世界大戦で、スタインウェイ&サンズ社はニューヨーク、ハンブルグともに混乱に陥り、ピアノ生産を中断せざるを得なくなった。 戦争が終結し1960年代になると、ケネディ大統領の政策のもとピアノの需要が急増し、ウラディミール・ホロヴィッツをはじめ多くの天才ピアニストがスタインウェイピアノとともに活躍し、ピアニストからの憧れを一身に受けるブランドへと、さらなる飛躍を遂げていきました。

ニューヨーク・スタインウェイについて

現在でも、スタインウェイピアノの生産拠点はニューヨーク(アメリカ)とハンブルグ(ドイツ)の二拠点が存在生産するしますが、同じスタインウェイピアノでも多少の違いがあります。

もともとニューヨークを拠点にピアノ生産を始めたスタインウェイ&サンズ社ですが、純然たるアメリカのピアノではなく、もともとドイツでピアノを製造していたスタインヴェグ一家が当時工業力が最も優れたニューヨークの地へ移住し、その技術を最大限に活かしながら大きく発展したピアノと言えます。

その後、ハンブルグ工場製は独自に進化していった過程がありますので多少の違いが生まれることになりますが、「本家はやはりニューヨーク工場製」という考え方もあります。

メーカーの販売面での方針により、ニューヨーク工場製は南北アメリカを対象に、またハンブルグ工場製はヨーロッパやアジアを対象に供給されていますので、日本ではニューヨーク工場製に馴染みのない方が多いのです。

20世紀最大の演奏家、セルゲイ・ラフマニノフは、アメリカに渡った1918年より生涯にわたりニューヨーク・スタインウェイのピアノを愛奏しましたし、アントン・ルビンシュタイン、イグナツィ・パデレフスキ、ウラディミール・ホロヴィッツがニューヨーク・スタインウェイを愛奏していたことは有名です。

楽器としての違いは、黒色の外装色が艶消が多く、鍵盤の両脇にある腕木や鍵盤蓋表面のカーブが無く角ばっていたり、譜面台を収納する際に倒れる方向が反対(手前側)であったり、デザインや構造面の違いがあるのと、音作りはハンブルグ工場製が硬めのハンマーを徐々に柔らかくして整えていくのに対し、ニューヨーク工場製は柔らかめのハンマーを徐々に固くして整えるという過程の違いがあり、

● ハンブルグ・スタインウェイ・・・音に艶(つや)があるが繊細さや上品さがあり、きっちりとまとまっている
● ニューヨーク・スタインウェイ・・・音がストレートでキラキラとした明るさがあり、常に音同士の余韻がにじみあってダイナミック

といった印象があります。

フレンドリーで人間味のあるニューヨーク工場製、対して誇り高さと威厳のあるハンブルグ製、と例えられる事もあります。

いずれも個性やスタイルの違いがあるとはいえ、世界の一級品である事には間違いないでしょう。